終活、断捨離、身辺整理、大掃除、整理整頓

父親が死ぬ前にあれこれと支度をしていたのに感化されて、自分も長年貯め込んだガラクタを処分しようという気になった。自分の持ち物のほとんどは自分にとってしか重要ではなくて、自分の子供時代の写真とか、子供時代の教科書とか、ノートとか、通信簿とか、日記とか、他人にとっては何の価値もないものばかりである。日記なんて残された人にしてみたら、見たくもないものだろう。有名人でもない限り。そんなわけで、自分が死んだときに残された人が戸惑わなくていいように、そもそも荷物を極力減らしたいという願望を抱くに至った。

と言いつつ、なかなか捨てられないものもあって、もはや取っておく必要はないのだけれど、当時の自分が一生懸命何かをやっていたときの証明になるようなものは、いきなりは捨てられない。例えば、音楽レッスンに通っていたときの先生に教わったことのメモとか。いずれ処分することになるんだろうけど。

写真も今ならデジタルだけど、昔は全部フィルム式カメラで撮影して印画紙に焼いていたので、紙の写真が多量にある。自分は子供のときこんな顔をしていたのかという以外、とりたてて価値はないのだが、捨てるのも忍びない。かといって似たような写真が大量にあってもしょうがないので写真映りのよい何枚かを残して処分した。幼稚園の卒園時に幼稚園の先生の膝の上で写っているものなどは、なかなか捨てにくい。幼稚園の先生ってなんか優しい人だったなくらいの記憶しかなかったけど、写真が出てくると、ああこういう人だったんだと少し感慨に浸る。

本もいらない本はだいぶすてた。自然科学の教科書の類は、時間ができたら読みたいので捨てずにとってある。自己啓発系の本は、今さら自分の人生を好転させようと頑張るような人生のステージでもないので、捨てることになるだろう。90歳になっても読み返す価値がある本があればとっておくかもしれない。